チームS:シェイダさん救援グループ 2005/04/10 up
 
(1)シェイダさんの日本での長い闘い、ついに終わる
〜3月30日、第3国出国がついに実現〜
 

 長かった闘いの終わる日が、ついに訪れました。3月30日、シェイダさんは16年近 くにわたって住み続けた日本の地を離れ、成田空港から、ある欧米先進国へと旅立ち ました。第3国出国に先立って、3月21日、シェイダさんの友人たち20名以上が集ま って「おめでとう!?日本脱出」パーティーが開催されました。また、第3国出国当日 には、シェイダさんの友人たち数名と、関係機関の方たちが成田空港まで同行し、シ ェイダさんを見送りました。

 シェイダさんの第3国出国が早期に実現したことには、いくつか理由があります が、基本的には、シェイダさん自身が第3国開拓のために努力したこと、受け入れ国 のゲイ・レズビアンのネットワークが積極的に対応したこと、受け入れ国政府と複数 の国際機関が前向きに対応したことが挙げられます。シェイダさんの第2審判決は1 月でしたから、それから2ヶ月強で第3国出国が実現したことになります。こうした 早期解決は異例のことであり、シェイダさんが持っていたいくつかの好条件がプラス に作用したものと言えます。

 欧米先進国への移住は、シェイダさんが1991年にイランを出国してからのたっての 希望でした。シェイダさんの希望は、16年越しにようやくかなえられたことになりま す。私たちは、シェイダさんがついに、安定した在留資格とともに安住の地を得られ たことを喜ぶととともに、第3国出国の実現に向けて努力をしてくれた多くの方々や 機関に心からの感謝を表明します。また、シェイダさんの難民性を認め受け入れてく れた第3国政府にも、心からの感謝を表明します。

 私たちは一方で、シェイダさんを最後まで受け入れず、難民条約加盟国としての責 任を放棄してきた日本政府に対して、恥辱と怒りの意を表明したいと思います。私た ちは日本政府に対して、不名誉な難民排除政策を直ちに改め、すべてのマンデート難 民を難民として受け入れることを要求します。

 なお、シェイダさんの第3国出国については、受け入れ国政府や関係機関との関係 上、シェイダさんの第3国出国が完了するまで、一般に公表することを控えてきまし た。その点につきまして、一言、お詫び申し上げます。

 
(2)ボランティア募集:シェイダさん関係年表の作成
 

 シェイダさんが日本に入国してから第3国で安定した在留資格を得るまでに、16年 の年月がかかりました。とりわけ最後の6年間は、逮捕、収容、裁判等々、多くのド ラマがありました。
 この6年間については、ほぼ「シェイダさんを救え!ニュースアップデイト」(創 刊は2000年8月)にだいたいフォローされています。
 そこで、「ニュースアップデイト」をまとめて、シェイダさんが2000年4月に逮捕 されてから2005年3月に出国するまでの約6年間の年表を作ってくれるボランティア の方を募集します。いかがでしょうか。募集要項は以下の通りです。

○仕事:「ニュースアップデイト」各号(1号〜73号)に記載されている出来事をま とめ、年表を作成する。
○期限:1ヶ月間(2005年5月頭までに完成させる)
 いかがでしょうか。この6年間のプロセスを追ってみたいと思われる皆さま、ぜひ ともご応募下さい。以下の返信票に必要事項をご記入の上ご返信下さい。

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<返信票>pinktri@kt.rim.or.jp(稲場)まで
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○お名前
○メールアドレス
○電話・携帯など
○コメント

 
(3)今後のチームSの活動について
 

 シェイダさんの第3国出国が完了し、シェイダさんの救援を活動目的としていた 「チームS」も、残務処理の上、その役割を終えることになります。

 チームSとしてどのような仕事をやり残しているか、まだ全部確認できていません が、近いうちに、シェイダさんをめぐる取り組みの経過を整理し、その意義を確認す る締めくくりの集会を開催したいと考えています。また、これまでの取り組みや提出 した証拠資料等については、まとめ直して、可能ならば出版などを実現していきたい と考えています。

 また、今後、同性愛者であることを理由とする難民申請や裁判等があった場合に は、シェイダさん裁判で活用した資料等の提供をしていければと考えています。

 
(4)喪失感とともにある勝利:闘いは続く
〜シェイダさん第3国出国に当たっての臨時声明〜
 

(2005年4月2日:文責 大塚重蔵)

1.3月30日午前11時。16年間の歳月と数多くの友人を残して、シェイダさんはこの 土地:ユーラシア大陸の東端に位置する弧状列島から、まだ見ぬ新しい土地へと旅立 った。彼の手には、かの新しい土地を統治する政府が発行したパスポートが握られて いた。此岸におけるシェイダさんの闘いは、ここに終わった。

2.彼が16年間過ごしたこの土地、日本の政府は、彼がこの国に住み続けることを頑 なに拒否し、迫害が待ち受ける祖国に強制送還する決定を行い、1年と7ヶ月に渡っ て彼を収容し、その後も4年の長きに渡って、収容と強制送還の恐怖に彼を縛り付け た。裁判所は、二度にわたり、政府のその措置を是とする判決を下した。しかし、彼 は2000年4月22日の逮捕以来、6年もの長きに渡って持ちこたえた。そしていま、彼 は安定した在留資格とともに、ここではない、新たな安住の地を得ることができた。 彼とともに、私たちは宣言する、私たちのこの闘いは勝利だった。

3.私たちはしかし、その勝利を、十分な喜びとともに祝うことはできない。むし ろ、私たちは悲しみをすら感じている。それは、彼がすでにもうこの土地にはいない こと、私たちが彼と同じ土地において生き続けていくことができないことに由来す る。この勝利は、私たちと彼との間に国境という分断線を引くことを前提にかちとら れた。今、この土地に彼はおらず、私たちは、彼を拒絶する政府を持つこの土地で生 き続けなければならない。この勝利は、喜びではなく、喪失感とともにある勝利であ る。

4.この喪失感が意味することはすなわち、私たちの=この土地に生き続ける者とし ての私たちの闘いは、終わっていないということである。私たちと彼との間に引かれ ているのは、彼を難民として受け入れる政府を持つ土地と、彼を拒絶する政府を持つ 土地との分断線である。この分断線を消していくこと、「十分に理由のある迫害の恐 怖」に直面した者たちを難民として受け入れる、当たり前の政府を、自らの土地に持 つことが、私たちの課題として残された。

5.最後に。6年間にわたるこの闘いは、過酷な闘いだった。しかし、この過酷な闘 いを、彼と私たちは、じつに豊穣な闘いとして闘い抜くことができた。この土地の政 府が行使する暴力に、驚くほど多くの人々が憤った。不当な法制度とその不当な執行 に直面した彼に、性的指向の違いを越えて、驚くほど多くの人々が連帯し、すすんで 力を貸してくれた。その連帯が、この闘いにまれにみる持続性、自立発展性と豊穣さ とを与えた。私たちはこの豊穣と、それをもたらしてくれたすべての人々に感謝す る。そして、6年間、この豊穣の起源として存在し続けた彼に感謝する。

6.彼は、私たちは勝った、そして私たちの闘いはまだ続く。

A Lutta Continua...a Vitoria e Certa!(Agostinho Neto, Angola 1975)