チームS:シェイダさん救援グループ 2002/05/21 up
 
今後の裁判の展開に大きなインパクト
〜シェイダさん原告本人尋問終わる〜

 もうすぐ丸2年を迎えるシェイダさん在留権裁判。5月8日、今までのところ一番 の山場である原告シェイダさん本人の尋問が行われました。当初、尋問時間は2時間 半を予定していましたが、尋問内容には裁判官も熱心に聞き入り、法廷は30分ほど延 長されました。内容的にも非常に満足のいくもので、今後の裁判の展開に非常によい影響を与えそうです。

 また、シェイダさんの尋問と聞いて多くの人々が傍聴にかけつけてくれ、法廷は満席に近い状態となりました。傍聴に来ていただいた皆さん、どうもありがとうござい ました。

 原告代理人の大橋弁護士による主尋問では、まずイランでの同性愛者の迫害状況と、シェイダさんの出国理由、同性愛者の団体「ホーマン」と出会って同性愛者としてのポジティブなアイデンティティを身につけたことなどが証言されました。その後、シェイダさんの収容(2000年5月)後東京入国管理局によって行われた尋問が、 通訳も付けず、何のための尋問かをきちんと説明せずに行われたこと、最初の尋問は イラン人や他の外国人がいる大広間で行われ、証言内容を他人に聞かれるなどの問題 が生じたこと、次の尋問は病気で尋問に耐えられる体調でないときに、昼から夜まで 無理に行われ、作成された調書の読み聞かせも行われなかったこと、など、入国管理局側の尋問のずさんな実態が明らかになりました。

 一方、法務省側の反対尋問は精彩を欠き、1時間の予定がわずか40分で終わりました。

 裁判長は今後の法廷について、原告側が申請している在米イラン人の人権活動家グダーズ・エグテダーリ氏の採否を決める前に、いったん原告・被告双方がイランにおける同性愛者の迫害の状況について資料を全部出してほしい、と指示。被告側は「イランの同性愛者の人権状況については現在調べているところであり、少し時間をくれ」と述べ、次回法廷は2ヶ月以上あとの7月19日となりました。法務省がどんな証拠を出してくるか、要注目!です。

 

■□■シェイダさん在留権裁判■□■
<<第11回口頭弁論>>
 ○日時:2002年7月19日 11時30分〜
 ○場所:東京地方裁判所6階606号法廷
  (営団地下鉄霞ヶ関駅下車徒歩3分) 
■□■第11回口頭弁論報告集会■□■

 ○日時:2002年7月19日 12時30分〜
 ○場所:弁護士会館を予定

 

 
↓↓↓ より詳しい内容を知りたい方へ:シェイダさん証人尋問詳報 ↓↓↓
 
○●○改めてイランの同性愛者への人権抑圧を告発○●○

 尋問は、イラン・イスラーム革命(1979年)以後のイスラーム共和国体制において、同性愛者がどのように迫害されてきたのか、また、シェイダさんがそれをどのように知り、どう考えたのかから始まりました。

 シェイダさんは、同性間性行為や結婚相手以外との性的関係などを処罰するために行われている「石打ち刑」の実態を詳しく説明しました。また、イスラーム共和国体制に反対する左翼や民主派などの勢力も、同性愛者の人権確立には不熱心であったこと、国家による迫害だけでなく、家族などからの社会的迫害も深刻であり、彼自身がイランで家族からの強烈な結婚圧力に悩まされていたことを証言しました。

 また、同性愛について十分な情報がないイランでは、同性愛者が自分の性的指向を肯定的にとらえることができず、同性愛を「罪」とか治療しなければならない病気ととらえざるをえない状況があること、イランでは自分もこうした意識にとらわれていたことを証言。自分が同性愛者であることを肯定的にとらえ、ポジティブなアイデンティティにしていくことができたのは、イランからの出国後、欧米で活動しているイラン人同性愛者の人権団体「ホーマン」に出会ってからだと述べ、同性愛者のコミュニティに触れることの重要性についても証言しました。

 尋問に当たった大橋弁護士の「イランから出国した理由はなんですか」という問いに対するシェイダさんの回答「人間らしく生きたかったからです」という答えには、説得力がありました。

 
○●○収容時の東京入管のずさんな尋問実態を告発○●○

 尋問は、シェイダさんが2000年4月の逮捕以降、5月に東京入国管理局の収容場 (通称「十条」、東京都北区十条駅近く)に送られたときにシェイダさんが経験したことへと移っていきました。

 シェイダさん在留権裁判で法務省側は、収容場で「退去強制手続」の一環として行われた入国警備官による尋問(2000年5月9日)、入国審査官による尋問(5月25日)、特別審理官による尋問(6月9日)の調書を証拠として提出しています。そこには、シェイダさんの家族が、シェイダさんが同性愛者であることを知っているとか、シェイダさんはイランからの出国後ドバイ(アラブ首長国連邦)で日本大使館に立ち寄ったとか、事実に反することが書かれています。法務省は外国人の難民事件の裁判などでは、本人が自発的に行った証言と、退去強制手続のための尋問で行われた証言とのささいなずれをついて責め立て、「こいつはうそつきだ」という印象を裁判官に与えるという戦術をとることが多いのです。

 シェイダさんは証言の中で、これらの尋問がどのような形で行われ、こうした「調書」となっていったかについて克明に証言しました。この証言内容は驚くべきものでした。

 まず、シェイダさんが「十条」に移された直後の5月9日に行われた入国警備官による尋問について。シェイダさんの証言によると、この尋問は専用の部屋ではなく大広間で行われましたが、その部屋の中では他にも尋問が行われており、尋問待ちのイラン人や他の外国人が十名以上いたということです。シェイダさん自身、他の尋問の内容を聞くことができました。シェイダさんの近くには他のイラン人がいてシェイダさんの尋問を聞いており、このイラン人はあとでシェイダさんの尋問理由を他の人に言いふらしていたというのです。

 また、尋問の担当官は尋問に当たって「これは難民申請とは関係ない。入管に入るための手続きの一環だ」といい、弁護士がいなければ尋問には応じないといったシェイダさんに対して大声で威圧したとのことです。尋問には通訳も付きませんでした。他の外国人の存在に気を取られ、シェイダさんは担当官の調書読み聞かせに集中することができず、調書の内容がまちがっていてもチェックすることができなかったと証言しました。

 次に、5月25日に行われた入国審査官による尋問についてですが、シェイダさんはこの日の数日前から全身のかゆみや腫れに襲われ、耳・鼻にも炎症ができて医師にかからざるを得ないほどひどい体調でした。尋問はこれを無視して、昼前から夜8時までの長時間、通訳なしで行われたそうです。これについても「難民申請とは関係ない」という説明があり、さらに時間が遅くなったために担当官は読み聞かせをせずに調書を作成したとのことです。

 以前から、入国管理局による尋問は通訳などの点で問題があると指摘されていましたが、シェイダさんの証言によって、通常では考えられないずさんな尋問のやり方が法廷で明るみに出たと言えます。

 
○●○精彩を欠いた法務省の反対尋問○●○

 東京入管のずさんな尋問実態の証言については、最初は眠そうにしていた裁判官も身を乗り出して聞くなど、裁判官にもかなりのインパクトを与えました。法務省側も、証言が進むにつれてあわてて書類をめくったり、担当者同士が小声で相談しあうなど、うろたえている様子が如実にうかがえました。

 出鼻をくじかれた法務省側の反対尋問は、非常に精彩を欠いたものになりました。法務省側は、シェイダさんが1996年に東京で行われたレズビアン・ゲイ・パレードに参加し、その後97年にイラン大使館に赴いてパスポートの更新を行ったことをとりあげ、「本当に迫害が恐いなら、イラン大使館に行くことはできないはず」とばかりに迫りましたが、シェイダさんは96年のパレードについては「ホーマン」の会員としてではなく個人的に参加しただけであること、在外イラン大使館は反体制活動家などに対してもパスポートの切り替え業務を行うのが通常であることなどを証言して切り返しました。法務省のつっこみはその程度で、あとは時間を稼ぐための無ないような質問が淡々と続き、1時間を予定していた法務省の尋問はわずか40分で終わりました。

 
○●○今後のスケジュール○●○

 尋問が終わった後、市村裁判長は今後の進め方について、シェイダさん側が証人尋問を申請しているイラン系米国人の人権活動家、グダーズ・エグテダーリ氏の採用について言及しました。市村裁判長はまず、エグテダーリ氏が自ら執筆した意見書等が証拠として提出されていることから、まず原告・被告双方が、イランにおける同性愛者の迫害の状況について、現段階で出せる証拠をすべて出し切ることが必要であると述べ、そのために一度口頭弁論を設けることを提案。エグテダーリ氏の採否はその段階で決定すると述べました。

 法務省側は、イランでの同性愛者の迫害状況について「現在調査中であり、今しばらく時間がほしい」と述べ、次回の法廷を7月に持つことを主張。次回の口頭弁論の期日は7月19日、午前11時30分からとなりました。

 法務省が、イランにおける同性愛者の迫害について新しく「調査」を行っているというのは、当方にとっても初耳であり、意外な感じがしました。法務省側は、次の法廷にどんな資料を持ってくるのでしょうか。次回の法廷、要注目! です。