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同性愛者のイメージは作られています
 

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(1)同性愛についての偏ったイメージ
 1.社会(学者)によって作られた同性愛のイメージ
 2.マスコミによって作られた同性愛のイメージ
(2)同性愛者のイメージが湧かない理由

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1.同性愛者のイメージは作られています
2.同性愛者のおかれている状況
3.同性愛者から社会へ
4.同性愛者と新しいライフスタイル
5.このホームページへアクセスした皆さんへのメッセージ
6.同性愛に関する電話相談の紹介

 
(1)同性愛についての偏ったイメージ
 

 「同性愛」・「同性愛者」という言葉を聞いた時、皆さんはどんなイメージを抱くのでしょうか? 正確なイメージを持っている人はとても少なく、ほとんどの人が偏ったイメージを持っているか、全くイメージが湧かない、のどちらかに別れるようです。ここでは、なぜ偏ったイメージを持ってしまうのか、あるいは、どうしてイメージが全く湧かないのか、という二点について、考えてみましょう。
 同性愛についての偏ったイメージができる原因は、二つあります。一つは、学者を中心として世間=社会によって、偏ったイメージが作られてしまうということ。そしてもう一つは、(特に現在は)マスコミによって同性愛者のイメージが極端に歪められてしまっているという現実があります。

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1.社会(学者)によって作られた同性愛のイメージ
 

 同性愛というと、いまだに「異常」「倒錯」「変態」という言葉が頭に浮かぶ人がたくさんいます。また、実際に同性愛者に対して、そういう言葉を浴びせる人もいます。つい数年前まで、辞書・百科事典・現代用語事典の「同性愛」の項目には、「異常性欲」「性倒錯」といった説明が並んでいました。同性愛者が自分が同性に魅かれると気づく思春期の頃、自分が何者であるかを知るために、辞事典を引き、「異常」と書いてあれば、受けるショックには計り知れないものがあります。その時に受けた自分を強く否定された感情を、後々まで長く引きずる同性愛者も少なくありません。

 同性愛を「異常」「倒錯」「変態」と規定したのは19世紀末の医学者達で、心理学者・生物学者・生理学者なども加わって、近代以降、同性愛者は完全に治療・研究の対象として扱われることになりました。からだじゅうに電極を付け、ヌード写真を次々と見せ、同性のヌードに反応したら電気ショックを与えるという野蛮な治療法まで「発明」され、ごく最近まで実際に行われていました。

 現在、国際精神医学会やWHO(世界保健機関)では、同性愛を「異常」「倒錯」「変態」とはみなさず、治療の対象からは外されています。例えば、アメリカ精神医学会は1973年、世界に先駆けて同医学会が発行している精神障害診断基準であるDSM−2の第七版から同性愛についての記述を削除しました。WHOも、「国際疾病分類」(ICD)の93年に発表された改訂第10版で、「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」という宣言を行っています。日本では、94年12月に厚生省がICDを公式基準として採用し、95年1月にやっと日本精神神経医学会が、ICDを尊重するという見解を出しました。

 今日、同性愛は人間の持つ「性的指向」(SEXUAL ORIENTATION‥性的な意識の方向性)の単なる一形態と捉えられています。そもそも人間は、愛情を向ける対象が異性に限られるという単純な動物ではありません。ひとりひとりの中で、「同性指向」と「異性指向」がある一定の割合で存在しているのが人間という「種」の基本的性質で、そのパーセンテージは自分の意志で簡単に変えたり選んだりできない可変性の低いものになっています。(その割合の偏りによって、便宜的に、人間には、「同性指向」と「両性指向」と「異性指向」がある、という言い方をすることが多いようです)ですから、「性的指向」は、「性的志向」あるいは「性的嗜好」と書くのは間違いです。(→くわしくは、「多様な『性』のあり方」の章を見て下さい)

 キリスト教・イスラム教・ユダヤ教といった、アラビア半島で生まれた宗教は、同性愛を禁止しています。その理由は、それらの宗教が生まれた頃にまでさかのぼることができ、実は子孫繁栄のためだった、という研究がされています。つまり、同性愛が増えると子どもを生まなくなる。砂漠という厳しい環境で生き延びてきた民族にとっては、子どもをつくって民族が絶えないようにし、まだ新興宗教で信者も少なかった自分達の勢力を拡大する……これは非常に重大なことだったのです。

 しかしこうした事実は、同性愛的な行動をする人間がその時代から存在していたという証明にもなります。それから、いわゆる「富国強兵」といった近代の概念の中にも、やはり、この子孫繁栄というイデオロギーが入り込んでいます。

 例えば、ナチス・ドイツはそれを極端に進めました。純粋なゲルマン民族だけが生き延びて、優秀な民族として繁栄していくというのがナチスのイデオロギーでした。ナチスが虐殺したのはユダヤ人だけではありません。ロマ(ジプシー)と呼ばれるヨーロッパを流浪していた民族も、ユダヤ人同様自分達ゲルマン民族の血を汚すものとして排除されました。そして、子孫を残さない身体障害者や男性同性愛者もガス室に送るなり、強制労働させたり、いろいろな形で殺していったわけです。男性同性愛者たちは、ピンク色の三角形(ピンク・トライアングル)を囚人服につけさせられ、収容所に送り込まれました。そして、そのピンク・トライアングルが、今やアメリカやヨーロッパでは、同性愛者の解放運動のシンボルになっているのです。(なお、女性同性愛者は存在を無視されていたのと、「子どもを産める」という点で利用できると考えられて収容されなかったと推定されています)

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2.マスコミによって作られた同性愛のイメージ
 

 まず第一に、マスコミというのは同性愛者を非常に性的な「だけ」の存在だ、という取材の仕方をします。本来人間というのは、異性愛者であろうと同性愛者であろうと、日常生活の中で恋愛をし、セックスをするのは当たり前のことですから、その意味から言えば、もともと全ての人間が性的な存在であるはずです。にもかかわらず、マスコミは極端に同性愛者の性的な部分を強調して取り上げます。いきなり同性愛者はどういうセックスをするのか、という話になってしまうのです。

 例えば、このホームページを読んでいるあなたが街角でテレビのインタビューを受けて、「あなたはどんなセックスをしていますか?」と訊かれた場面を想像してください。あなたは「そんなことをなぜ話す必要があるのか?」と言い返すでしょう。いきなり初対面の人に、その人のセックス(プライバシー)について訊くのは大変失礼なことです。ところが、同性愛者はマスコミの人間に、当たり前のように性的な質問を次から次へとされてしまうのです。「どういう日常生活をしているんですか?」なんてことは、まず訊かれません。要するにマスコミにとっては、異性愛者と全く変わらない日常生活を取り上げても全然面白くないので、性的な話題ばかりに目が向くことになります。

 ですから、マスコミは同性愛者のナンパ・スポットを非常に取材したがります。同性愛者の場合は、日常生活では自分が同性愛者であることを隠さざるを得ないわけですから、必死で口コミやゲイ・マガジン、あるいはレズビアンマガジンを通じて、同性愛者どうしがお互いに出会える場所を創り出してきました。今でこそ同性愛者のサークルやパソコンネットワークなど、様々な出会いの場がありますが、20年前には、バーがひしめく繁華街に出掛けて行くか、同性愛者どうししか知らない特定の公園や海岸で一時的なセックスの相手を見つける以外に知り合う方法がありませんでした。マスコミが狙うのは、後者です。『ナンパ・スポット潜入!』といった、いかにもセンセーショナルなタイトルをつけて、あくまで同性愛者が性的な接触をするところだけを強調して取り上げるのです。これは「ゲイ・ブーム」が終わった今でも続いており、「同性愛者は乱交ばかりしている」「同性愛者はセックスばかりで精神的な愛がない」などといった偏見を日夜強化し続けているのです。

 例えば1995年6月、日本テレビ系の『解禁テレビ』という番組の中で、『怖くていけないところ』というタイトルで、新宿2丁目(同性愛者が集まる繁華街の一つ)が紹介されたことがありました。取材者が男性なので、男性同性愛者にそこでナンパされてやられちゃったら怖くていけないから、といういい加減なネーミングらしいのです。

 番組の内容は、新宿二丁目の街角に、男性スタッフの一人が立って男性同性愛者にナンパされる一部始終をそのスタッフの上着につけた超小型カメラで撮る、というものでした。最初はなかなか声が掛からなかったのですが、とうとう見事ある男性にナンパされ、その人のマンションについて行き、マンションの部屋に入ってさぁここで! というところで、ポンとフィルムが終わるのです。その後は、司会の福留アナとタレントの中山秀征たちが、非常に興味本位に笑いながらコメントしていました。この番組を見ただけでは、同性愛者はただナンパしてセックスをするだけ、というイメージが強烈に視聴者に焼き付きますし、どう見ても番組全体で同性愛者を嘲笑しているとしか思えませんでした。(大阪の同性愛者の団体『ゲイ・フロント関西』が粘り強く抗議して、日本テレビ側が謝罪しました)

 このマスコミの扱い方には、本当に凄まじいものがあります。このホームページへアクセスした皆さんには、マスコミで同性愛者が笑い者にされているという現実に対して、敏感になっていただきたい。また、そういう場面で傷ついている同性愛者がいるんだということを、皆さんのお子さん、生徒さんなどに話していただければ、それだけでもずいぶん違ってくるのではないかと思っています。

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(2)同性愛者のイメージが湧かない理由
 
 同性愛者という言葉を聞いても、全然イメージが湧かないという人もいます。なぜイメージが湧かないのでしょうか? 答えは簡単です。テレビなどでたまたまそういうものを見ていないか、見ていても気にとめていないということもあるかもしれませんが、要するに日常生活の中で「私は同性愛者です」という人に出会わない、ということに尽きます。
 

 プライバシーの侵害になるので、正確な調査はありませんが、同性愛者はどこの国でも人口の最低3〜5%はいると推定されています。日本でも、同性愛者向けの雑誌の売れ行きなどから考えても、同じような数値になるでしょう。

 しかし、生まれてから死ぬまで、同性愛者に出会ったことがないという異性愛者はたくさんいます。『すこたんソーシャルサービス』(伊藤悟&簗瀬竜太)が講演に行くと、大多数の人は、生まれて初めて「生身の」「本物の」同性愛者を見た、と言って驚いたり感動したりします。私たちが「実は知らないうちに皆さんも何人もの同性愛者と出会い、話をしているかも知れませんよ」といってもなかなか実感を持って受け止めてはもらえません。

 なぜ日常生活の中で同性愛者に出会わないのかと言えば、これも非常に答えは簡単です。同性愛者たちは、とりあえず自分の性的指向を皆隠しているからです。と言うよりは、隠さざるを得ないのです。ほとんどの同性愛者は、莫大なエネルギーを使って、必死に異性愛者のフリをして日常生活をしています。だからあなたの側に同性愛者がいても、気づかないのは当然です。したがって、テレビなどのマスコミから情報を得ない限り(それ自体が歪んでいるわけですが)、同性愛者のイメージが全く湧かないのは極めて当然と言えるでしょう。
 つまり、同性愛者というのは、一方ではものすごく偏ったイメージを持たれて嘲笑の対象とされ、また一方では、全くその存在を無視されていることになります。では、なぜ同性愛者は異性愛者のフリをせざるを得ないのでしょうか? これも理由は簡単で、同性愛者であることが周りに知られると、自分にとって様々な不利益が生じたり、自分を否定されたりすることになるからです。

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